「貧しき人々」(ドストエフスキー)①

処女作でいきなり強烈にやってのけた

「貧しき人々」
(ドストエフスキー/安岡治子訳)
 光文社古典新訳文庫

中年のしがない下級役人
マカールと、
向かいに住む
天涯孤独な娘
ワルワーラの二人は、
毎日手紙で励まし合い、
貧しさに耐えて生活していた。
一向に暮らし向きが
よくならないある日、
彼女のもとに地方地主の
ブイコフが訪れ…。

以前取り上げた
コレット「青い麦」
フランスの上流社会の若い男女の、
夏の避暑地でのロマンスでした。
こちらは正反対です。
ロシアの底辺層の、
47歳のおじさんと18歳の少女の
プラトニックな交流です。

それにしても
二人とも貧困にあえいでいます。
マカールは僅かな月給が
右から左へと流れ、
手元にほとんど残らない。
靴も穴が開き、
上着もつぎはぎだらけ。
家賃の支払いも滞る。
その中でワルワーラに
貢いでいるのです。
一方、
彼女も事業の失敗から両親を亡くし、
貧困層へと転落。
裁縫の内職をしながら
細々と生計を立てているのです。

二人の手紙の文面に
次々と現れる「貧困の実態」は
衝撃的です。
これでもかと繰り返し現れる描写は、
どう考えても機能しない政治に対する
不信表明としか思えません。

ところで貧しい下級役人といえば、
ロシアの先輩・ゴーゴリ
「外套」(1842年出版)を連想します。
実際、ドストエフスキー
「我々は皆ゴーゴリの
「外套」から生まれ出たのだ」と
語っていますので、
大きな影響を受けたのでしょう。
本作品中にも「外套」が登場します。
その「外套」も、民衆の貧しさを
告発しようとしたものと
考えられますが、
こちらは「幽霊」を登場させたり
ユーモアの衣で包んだりと、
間接的・風刺的な表現に
終始しています。

それに比べて本作品は
極めて辛辣かつ直接的な表現で
ロシア民衆の苦しさが描かれています。
ゴーゴリが
遠慮しながら発表したことを、
ドストエフスキーは
処女作でいきなり強烈にやってのけた
(1846年)のですから見事です。

さすがにやり過ぎたと
思ったのでしょうか、
2年後の短篇「正直な泥棒」では
トーンが落ち、
「外套」のようなユーモアを
前面に押し出しました。

ドストエフスキーの後の作品については
よくわかりませんが、
ゴーゴリ「外套」、本作品、
そして「正直な泥棒」と並べたとき、
本作品から火のように吹き出ている
作者の感情は、
並々ならぬものがあるのです。
現代日本に住む私たちは、
そうした不平等社会を
真っ正面から取り上げた
ドストエフスキーの若い魂をこそ
読み味わうべきでしょう。

※なお、1849年にドストエフスキーは
 秘密警察に逮捕され、
 4年間のシベリア流刑を受けています。
 やはりやりすぎたのでしょうか。

※実は私、
 ドストエフスキーについては
 短篇作品「正直な泥棒」しか
 まだ読んでいません。
 「カラマーゾフ」も「罪と罰」も
 入手しているのですが、
 まとまった時間がとれません。
 退職してからの課題かな?
 などと最近は諦めムードです。

(2018.11.8)

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